クロスベイスに関わる人のコラム「交差点。」vol. 3
今井貴代子 理事
クロスベイスに今関わる人は、なぜクロスベイスに関わり・交わったのか。クロスベイスに関わる人の歩みや思いを届けるコラムシリーズ、「交差点。」です。
クロスベイス理事、きよぽん、こと、今井貴代子です。好きなのは、ビールとワインで、居心地いいと思えるのは、子どもや若者(自称)の生きづらさや悩み、興味や野望の聴こえてくる場に共にいることです。ふだんは、大学で非常勤をしたり、子どもの相談員をしていますが、暇さえあれば、外国につながる子ども・若者たちの居場所づくり、表現活動にもかかわっています。自己紹介ということで、わたしの簡単な上京?上阪?物語をさせてください。
わたしの出身は、滋賀県の湖北地方、今はなき東浅井郡で、見渡す限り田んぼと山、コンビニはおろか家を出て最初に出会う信号機は車で10分以上、といったいわゆる田舎で育ちました。昔ながらの慣習やしきたりが残り、「家制度」の名残もあったため、わたしは幼心に男尊女卑とはこういうことか、と思うことがたびたびありました。そんな田舎者が大学に進学しようと思ったのは、「女性(男性)の生き方はこう」「勉強しても意味がない」「おとなしくしていた方がいい」といった規範を破って、性別や出身で決めつけられない、わたしなりの生き方を見つけたい、と思ったからです。
大都会・大阪に出てきてから(笑)、かれこれ20年ほどたちますが、では、わたしなりの生き方を見つけられたか、といえば、まだ途中というのが本音です。とはいえ、確実に変わったこともあります。進路、仕事、夢、生き方…一人で見つけるものだと一人抱え込み、粋がっていた10代とは違って、いまは、それらが人との出会いによってつくられると思えるようになったことです。「他者との出会い」によって、わたしの基礎がつくられ、「ここ」にとどまらず、常にわたしを「どこ」かに導いてくれています。
きっかけの一つは、差別や不平等を学びたいと思い進学した大学院で、人権教育や多文化教育を学び、さまざまな「マイノリティ」「他者」と出会う機会に恵まれたことです。フィールドワークと称して、高槻にある外国につながる子どもたちの地域子ども会でボランティアや指導員をやりはじめ、次には被差別部落の子ども会にも足を運び、とよなか国際交流協会では職員として働きはじめ、外国につながる子どもや若者のサポート事業や多文化共生の地域づくりに取り組んできました。大学院はこうやって終わっていったので、実に出来の悪い学生だったと思います(指導してくださった先生方、すみません!)。今思えば、かつて性別や出身で決めつけられない生き方を一人で見つけようとしていたわたしは、個人モデルでした。「一抜け」をよしとする、そんな生き方だったと思います。わたしが出会った人たちやかかわった現場から学んだことは、社会を変えようとする中で共に生き方を見つけようとする、社会モデルの考え方でした。
クロスベイスとの出会いは、そんなわたしの幼い頃から今に至るまでの、わだかまりとこだわり、希望と挑戦のように感じられます。「差別と貧困をなくし、ともに生きる社会をつくる」というミッションでNPOがスタートして丸1年、わたし自身、生野区についてまだまだ知らないことが多く、さまざまな人との出会いから学ぶ日々です。学習教室DO-YAや体験活動DO/COに参加する子どもたちからは、いつも元気をもらっています。子どもたちの人生の選択肢や可能性をどのように広げていけるか。どのような生き方を共に見つけていけるか。2年目もいろいろな方がたに協力していただきながら、挑戦していきたいと思います。クロスベイスをどうぞよろしくお願いします。