クロスベイスに関わる人のコラム「交差点。」
vol. 10
武田緑
Demo主宰
教育コーディネーター、学校の民主化アドバイザー
人権教育・シティズンシップ教育ファシリテーター
クロスベイスアドバイザー
クロスベイスに集う人の歩みや思いを届けるコラムシリーズ、「交差点。」です。
徐々に、春めき、だんだん日差しがあったかくなってきてうれしい今日この頃。
私の生まれ育った地域は、大阪市内のわりかし街中だったので、幼い頃から周囲に畑もなかったけれど、それでも公園にたんぽぽが咲いたり、風がやわらかくなったりして、この季節は好きだった。
近所には、桜並木の有名なところもあって、そこを散歩したり、夜店が出て東京コロッケを買ったりして楽しんだ思い出がある。
(※東京コロッケは多分大阪の北のほうでだけ、お祭りなんかで夜店に出る食べ物。ちっちゃいコロッケを串にたくさん刺して、ウスターソースにドボンとつけて食べる。めっちゃおいしいのです。)
* * *
そして、物心つく頃には、この地域は「部落」と呼ばれるところで、結婚するときや、友達づきあいや、仕事につく時に差別があったりすることがある、というのも認識していた。子どもなりに「なにそれ、おかしい!」と怒っていたと思う。
日本軍の性奴隷にされた女性たちの暮らすフィリピンの村、タウンシップと呼ばれる南アフリカの旧黒人居住区、ブラジルのファベーラ(スラム)、ニュージーランドやイースター島、タヒチの先住民族の人たちの暮らす村・・・。本当に短い滞在なので「わかった」なんてことは到底言えないけれど、それでもそこの人達と出会い、問題に触れて、触発されたことは大きい。自分が地元で何となく感じていた「なんかしんどそうな人が多いのはなんでだろう」「なんか他の地域と状況が違うような気がする」という感覚が、『差別と貧困の連鎖』というかたちで掴めた最初のきっかけも、思えばこの3ヶ月の船旅の中でだったと思う。
そこで、「君の意見は、こういう点で違うと思う」「君が前提としている知識は偏っている」というような生まれて初めて受ける反論に戸惑い、それに全然言い返せなかったという経験は、自分が受けてきた教育と、自分が育ったコミュニティ(部落と部落解放運動)のあり方を私に問い直させた。
例えていうなら青色っぽい人たちのコミュニティの中で、自分も青色っぽかったので、そこは居心地がよく、仲間の中で安心できていたのが、世界を回って帰ってきたら、自分だけ赤色っぽい人になっていて、赤色っぽい主張をどんどんするもんだからめちゃくちゃ浮いてしまった、というような感じ。
地域や運動や教育について「このままではいけない」「変わらなあかんのちゃう?」というメッセージは、現状否定だと映る。けれど、「赤色っぽい私」になった私が、このコミュニティで私らしく生きていこうとすると、どうしてもハレーションが起きてしまう。もしくは、何かを押し殺すことになる。これの課題は、正直なところまだ私の中で未消化のままだ。
当時、ピースボートの船旅の最後の方に、環境活動家の田中優さんという人が乗っていて、その人のしてくれた話が印象に残っている。
こんな話だ。
「人には風の人と、土の人がいる。
風の人は自由にいろんなところを飛び回り、時代の流れや新しい情報にも敏感で、タネを運んでいくような人。
土の人は、一つの場所やテーマに根ざして、そこを地道に耕していくような人。
風の人と土の人は反目しがちで、
風の人は土の人に対して、古臭いとか、そんなチマチマやってても社会は変わらない!と思ってしまいがち。
土の人は風の人に対して、チャラチャラして、本当にこの地域やこの問題のことに取り組む気があるのかと腹立たしく思ったりする。
でも、風と土が手を取り合ったときに、そこに初めて”風土”が生まれて、社会は変わり始めるのではないでしょうか。」
そして、私は性分としてはどうあがいても「風の人」で、それは仕方ないと最近は諦めがついてきた。
自分らしく生きていきたいということと、自分につながるルーツや地域のアイデンティティを大事にしたいということ。
これは時々矛盾する。コミュニティは人を支えてくれるけれど、ともすれば、人を不自由にするしがらみになってしまうこともあるだろう。
でも、自分の経験を振り返ってみても、「根っこがある」ということが「だからこそ安心して自由に飛んでいける」ということにつながるのもまた、事実だと思う。
クロスベイスの大人の人たちには、自分たちは土に根を張りながらも、風を受けとめる度量やセンスがあるように思う。
なんだったら自分自身も、土をはなれて風のように飛んでいくこともできる人たち。
そんな人たちだから、居場所=コミュニティをつくって子どもたちを支えながら、彼ら彼女らが風に触れて世界を広げる機会もつくることができるのではないだろうか。
在日コリアンの人たちが根付いてきた、多文化のまち・生野だからこそ、それができているようにも感じて、素直に尊敬の念が湧いてくる。
何ができるのかなあ、と思いながらも引き受けさせてもらい、あまり何もできずに時間が過ぎてしまっているけれど、これからもできることをさせてもらえたらと思っている。